槙原寛己 野球の名選手
完全試合という言葉は死語になりつつあります。完全試合とは、野球の試合でピッチャーが1人のランナーも出さずに27人のアウトを取ることです。死球も四球もあっては達成できません。それどころか野手のエラーもあっては達成できないものなのです。プロ野球史にこの偉業を果たしたのは、15人しかいません。
愛知、大府高校からドラフト1位でジャイアンツに入団した槙原寛己は、剛速球で鳴らし、150キロ台のスピードボールでバッターを打取る投手でした。ツボにはまれば、完封シャットアウトとなりますが、コントロールが定まらずいったん調子を崩すと、次々と打ち込まれるという投手でもありました。象徴的に露見させてしまったのが伝説となっている1985年、阪神タイガースのバックスクリーン3連発ホームランです。このとき投げていたのが、槙原寛己だったのです。
1994年FA宣言しましたが長嶋監督から慰留を懇願され、意気に感じた槙原は投げに投げまくりました。速球は140キロ台ですが、切れのいいスライダーとコーナーワークでバッターを打ち取る技術が円熟して来た頃、5月の福岡ドームでの先発投手として登板、27人のバッターを一度も塁に出さずアウトに片付ける離れ業をやってのけました。
パーフェクゲームは、ピッチャーの実力と野手のエラーがない、などの幸運さも合わさらないと達成できないものです。この1994年を最後に、パーフェクトゲームはありません。バッターの打撃技術が上がっていく一方の現在、パーフェクトゲーム達成はありえないかもしれません。それゆえ、この槙原寛己は名選手との意味合いを込めて、「ミスターパーフェクト」と呼ばれているのです。