松井秀喜 野球の名選手

松井秀喜

松井秀喜は、1974年生まれで石川県出身の元プロ野球選手です。星稜高校では1年生の時から4番打者を務めていて、3年夏の甲子園の明徳義塾高校戦では5打席連続敬遠を受け、社会問題にまで発展しました。1992年11月に行われたドラフト会議では、4球団から指名を受けて抽選の結果、読売ジャイアンツが交渉権を獲得したのです。プロ1年目は、1軍で57試合に出場して打率は2割2分3厘、打点は27で本塁打は11本という結果を残しました。

2年目は、1軍で130試合に出場して打率は2割9分4厘、打点は66で本塁打は20本という結果を出しています。2年目からは1軍に定着してチームの勝利に貢献したのですが、松井選手が名選手たる所以は安定して好成績を残したこと以外に、怪我に強く試合を欠場することがほとんどなかった点が挙げられます。首位打者1回、本塁打王と打点王のタイトルはそれぞれ3回獲得し日本を代表する選手になりました。

2003年からはメジャーリーグのニューヨークヤンキースに移籍しましたが、入団後3年間は毎年160試合以上出場して巨人時代と同様に怪我に強い選手だと印象づけています。メジャーリーグでは、巨人でプレーしていた時のように長距離砲として目立つ活躍はできず、中距離タイプの選手としてチームの勝利に貢献しました。2012年シーズン終了後に記者会見を開いて現役引退を発表し、日本球界10年とメジャー10年の合計20年間のプロ野球選手人生に幕を閉じました。