セーブ、という記録をご存知でしょうか。簡単に言うと、接戦リードの時に登板して、そのまま勝ち試合を締めくくった投手に与えられるスコアです。つまり、打者を確実に打ち取る技術、9回のマウンドに立って堂々と投げる度胸が求められる重要な役回り、抑え投手につくスコアです。このセーブの日本記録を持っているのが中日ドラゴンズの左腕、岩瀬仁紀投手です。
とは言え、彼は既に42歳を迎えセーブの場面で登板することもめったに無くなりました。彼は今、セットアッパーとして野球場を満たす満員の歓声の中、マウンドへ向かうのです。彼は37歳頃まで抑えのエースとして「死神の鎌」と呼ばれたほどの切れ味鋭いスライダーで数多の強打者を打ち取ってきました。セーブの通算数では402セーブととてつもない数値を残していますが、実は2014年を最後にセーブはひとつも上げていないのです。
2015年には不調もあって一軍登板そのものが無く、もう終わったと囁かれる有様でした。しかし、年齢的な衰えからストレートの威力やスライダーのキレが失われてもそこで岩瀬仁紀投手は終わりではありません。近年はカットボールやナックルボールの習得に励み、試合ではそれらを駆使して一回り以上も下の相手を打ち取っています。このたゆまぬ努力こそ彼を野球史に残る名選手へと押し上げたものなのです。
金田正一 野球の名選手
日本のプロ野球で最もたくさんの勝ち星を挙げた投手が、金田正一です。入団当初からその豪腕は飛び抜けた存在で、2年目には22勝を挙げます。その年は、107試合中44試合で先発をするという近代野球では考えられない登板数を重ねます。この年から14年連続で20勝以上を挙げるという離れ業をやってのけ、現在では名球会入りの金字塔として掲げられている200勝に、わずか24歳で到達しています。ちなみに連続シーズン20勝が途切れた年は11勝止まりでしたが、防御率1.84で最優秀防御率のタイトルを獲得しています。勝負どころでことごとく相手をねじ伏せる豪腕に、日本中が熱狂しました。
国鉄時代に353勝、巨人に移籍してから47勝で、ピタリ400勝を挙げ引退しました。しかも、国鉄時代は特にチーム力に恵まれず勝ちにくい状況にあったことを考えると、この数字の重みはさらに増します。史上1位の298敗も、チームの命運を常に背負い続けた勲章です。
二階から落ちてくるようだと讃えられた切れ味抜群のカーブと、数々の一流バッターをキリキリ舞いさせた快速球は球界の伝説で、今も語り草となっています。豪放磊落な性格で人気がありましたが、一方で暴言や乱闘で話題をさらうことも多く、トラブルメーカーとしても有名でした。
たくさんの国民に愛され、惜しまれつつも引退した名選手、金田正一がユニフォームを脱いだのは三十代半ば。もっと長く現役生活を続けていてもおかしくないように思えますが、酷使した肘は痛み、かなりの期間我慢をしながら投げていたようです。責任感の強さもまた、名選手の条件です。